最後まで

最後までたどり着かなければ分からないということはたしかに存在する。到達点に達して、そこから振り返ってみてようやく、個別の事象の意味や、それらの整合性のある関係が把握できることがある。このとき、到達点に達するまでのあいだには、そのプロセスの一歩一歩をたしかなものにする必要がない。むしろプロセスのさなかでプロセスの整合性をとることは弊害しか産まないのではないか。着想の時点で、分かるのは、おぼろげな到達点のみである。