ボルタンスキー展@庭園美術館

事前に想像していたよりもだいぶ小ぶりな展覧会だったこともあり、いまいちぐっとこなかった。既存の空間、とくに歴史的な価値や良さを有する空間に鑑賞するたぐいのインスタレーションは、何らかのかたちでその全体性に抵触していないと、あまり面白いものにはならないのかもしれない。ここで言う「全体性」というのは、物理的な全部ということでは必ずしもない。鑑賞を終えて、あるいは鑑賞の途中からすでに、既存とそれに鑑賞する新たな作為が二重をつくるような印象を与える、ということ。それが空間に本質的に干渉している状態だろう。

今回の展覧会の印象がそうはならなかったのは、作品の質も多分に影響していそうだけれど、同時開催の美術館自体の解説的展示との食い合わせが悪いことが大きいと思う。とりわけ庭園美術館アール・デコの建築として優れていて、ディテールが豊富である分、新規のインスタレーションがその「全体性」に干渉するにはかなり難易度が高い。そもそもそうであるのに加えて、そのディテールを事細かに伝える展示が並走していれば(しかもけっこう魅力的に)、もはや全体を上塗りすることは不可能に近いようにお思える。

やはり単純に、館の全体をすべて作家に預けるくらいしなければ、庭園美術館でのインスタレーションというのはうまくいかないのだろう。各質の室内意匠が多様だからこそ、数室だけ干渉してください、では、成立しないのである。